星、見てどうするんですか

~元天文少年、35年後の邂逅


それは高校時代に始まった―呆気にとられた少年、早合点した少女

「次、宇宙研究部」
 議長の声に、「宇研」の部長Kはやや緊張した面持ちで立ち上がった。1982年12月暮れ、東京都内の高校でのことである。全ての部活の部長と会計を招集して行われる予算会議は、さながらかつて民主党政権が行った「事業仕分け」だ。予算リストに記された各部活の項目から、寄ってたかって「ムダ」をそぎ落としていく。そんな中で、資料をめくりながら助け舟を出す会計岡崎の目にも、Kはかなりがんばっているように見えた。いや、がんばりすぎたのかも知れない。一人の女子が立ち上がって言った。
「星、見てどうするんですか」
座がどよめく。そのとき何と答えたのか、Kも岡崎も覚えていない。

 

   ◇

 

「不思議なものがいつまでもたくさんあってほしい」

 高橋真理子がオーロラの研究者になろうと思ったきっかけは、1980年代後半、高校生の時に出会ったこの言葉だった。写真家、星野道夫(故人)をオーロラの写真とともに紹介した広告記事の一文である。
「そのとき自分がどれだけ理解したかはわからないんですけど、以来ずっと自分の中にあって、いま自分がやっていることのモチベーションになっています」
 好奇心と行動力が人一倍旺盛だった高橋は、「地球物理学科に行けばオーロラの研究ができる」と北海道大学へ入学する。そこでオーロラの研究はやっていないと高橋が知ったのは、入学式の翌日だった。
「ちょっと調べればわかるのにね(笑)。でも、後悔したことはないんです。森や自然に囲まれている北海道に行ったことのほうが、自分にとってはるかに重要でした」

高橋真理子さん(星空工房アルリシャ代表) カフェfreebar-dにて

大人への階段―星を見なくなった青年、星を見始めた「落ちこぼれ博士」

 中学時代に望遠鏡を覗き始めた岡崎にとって、星を見るのはあくまで趣味だった。月のクレーターに差す影の境界線を見飽きることはなかったが、天文を職業にすることなど思いもしなかった。だから、あの問いへの衝撃を「宇研が星を見ないでどうする」と部活の文集に書きはしたものの、他人を納得させる答えにはなっていなかった。憤り以上のものを言葉にできないまま、岡崎は別の分野の大学に進み、やがて東京でメーカーに就職してエンジニアとなる。もはや夜空に望遠鏡を向けることはなくなっていた。心の隅に、未消化の問いが残された。

 

   ◇

 

 研究者を目指して大学院に進んだはずの高橋は、博士課程で「落ちこぼれて」いた。
「コンピュータに向かってデータの解析をするのは自分の仕事じゃないと思いました。もうドクターは取れないと、ひどく落ち込んだんです。それで、どんな状態でいる自分を好きなのかをひたすら書き出した。そうしたら、私は人が好きなんだってわかったんです」
 人を相手にする仕事をしたい。自分の本当の関心に気づいた高橋は、それまでとは別な視点から科学という分野を見つめるようになる。
「研究ではなく研究者、科学ではなく科学者の姿を見せたい、と思いました。教科書に書かれていることは科学の結果だけ。でも、科学は人の営みです。必死に論文を書いたり、激しく議論したりという人間臭い営みがあって、初めて新たな知見が生まれていく。そういう科学のプロセスを見せたい。そう思えたのは、やっぱり自分が研究現場にいたからだと思うんです」
 自然と人間とをつなごうとする高橋の思いは、「ミュージアム」という具体的なイメージとして固まっていく。
「『博物館』というと、古いモノを保存して置く所というイメージですけど、科学と芸術と社会をつなぐ場所、そんな『ミュージアム』を作りたいと思ったんです」
 全国の科学館や博物館に手紙を出しまくった末に採用されたのが、開設準備中の山梨県立科学館だった。高橋はプラネタリウムの主担当者として迎えられる。1997年のことだ。
「就職するまで、星座とか星の名前とかに興味はありませんでした。だから、本当にプラネタリウムでいいんだろうかって、決まってもしばらく悩んでましたね。昔から星が好きです、なんていう人に会うと、申し訳ない気分になります(笑)」

 

 星に関しては初心者にも等しい中、初年度の番組制作を任された高橋は、各地のプラネタリウムを見学してノウハウを学んだ。それらを通して高橋の中に形作られて行ったのは、既存のプラネタリウム番組とは違った星の伝え方だった。
「開設準備中にあちこち回りましたけど、何も知らないから逆にすごく面白かった。でも同時に、既存のプラネタリウム番組への違和感も感じたんです。それが何から来るのか、という思いから自分がスタートした。私があとで、いわゆる普通のプラネタリウムと全然違う視点でやれたのは、自分が天文少女じゃなかったから。何にも囚われていなかったんです」
 高橋が感じた違和感。それは番組で当然のように語られるギリシャ神話、そして天体そのものや天体現象の解説にあった。そこに高橋は、星を見上げるいまの「自分」を感じることができなかったのだ。それでも番組制作会社は、プラネタリウム初心者の高橋に既存の概念を押し付けようとした。
「ふざけんなって、だいぶケンカしました(笑)。何もわからなかったけど、プラネタリウムで伝えるべきことは何かって考えてましたから。そもそもどうして宇宙なんだ、お金をかけて設備を作って、人工の星を見せるって、いったい何なんだって」
 自分が作るべき番組の姿が、高橋の中で徐々に出来あがっていった。

それぞれの「天文対話」―再び宇宙を向いた会社員、独立を決意した学芸員

2015年、エンジニアとして多忙を極めていた岡崎に転機が訪れる。製品開発の現場から、対外向け企業誌の担当に変わったのだ。
2016年、自社製品がISS(国際宇宙ステーション)内で使われていることを知った岡崎は、宇宙関連の特集を企画した。科学ジャーナリストや研究者に話を聞き、記事を書く。まったく違う道を選んだにも関わらず、再び仕事で関わることになった「宇宙」。不思議な巡り合わせを感じていた。
2017年、再び宇宙の記事を書きながら、業務のスキルアップのため編集講座を受講。卒業制作テーマに、岡崎はあの未消化の問いを選んだ。

 

   ◇

 

 高橋もまた、科学館で多忙を極めていた。「星」と「人」への思いから生まれる高橋のプラネタリウム番組は人々の共感を呼び、科学館を飛び出して、オーディオドラマや小説にもなった。それに伴って高橋の活動の範囲も着実に広がり、次々と実を結んでいく。
2004年、山梨県立科学館にて、世代を超えた「星の語り部」活動を開始。
2008年、人間力大賞文部科学大臣賞を受賞。
2013年、独立し、星空工房アルリシャを設立。日本博物館協会活動奨励賞受賞。
2014年、病院や施設に星を届ける「病院がプラネタリウム」を開始。
2016年、書籍「人はなぜ星を見上げるのか」(新日本出版)を上梓。

邂逅―星を書きたい男性、星を書いた女性

 卒業制作に着手した岡崎は、2017年4月12日、宇研OBのメーリングリストに投稿した。
「仕事で宇宙のことを書くという、思ってもみなかった状況に置かれました。幸せなことです。しかし、宇宙を書く以上、あの問いに答えを出さないでいるわけにはいかなくなりました。ですので、この機会に考えようと思います」
 当時の部員から次々と応答が入る。
「自然科学の基本、とでも切り返せばよかったな」
「人の役に立つとはどういうことかを、長期的視野で考えないと」
「立証責任をこちらに負わせる言葉の暴力。ただし、星を見ることに価値を見出さない人たちに、僕たちが思っていた価値をどう説明するか、という課題は残る」
 岡崎も追記する。
「星を見るのには税金が使われる。『夢があるじゃん』では済まない」

 

4月14日、ネット検索していた岡崎は、高橋の著書「人はなぜ星を見上げるのか」を見つける。
4月15日、岡崎、書店で同書を購入。
4月19日、岡崎、高橋に手紙を出す。内容は本の感想と取材の依頼。
4月20日、高橋、自身のFacebookとメルマガに投稿。
「見知らぬ方から長文のお手紙をいただきました。高校生のときからずっと心にひっかかっていた問いに再度向き合おうと思っていたとき、私の本を手にしてくれたというのです。このタイトルは大仰すぎる…と途中で変更しようと思ったときもありましたが、これにしてよかったな、と思っています」
同日夜、高橋、岡崎に取材了承のメールを送信。
4月27日、甲府駅近くの小ぢんまりとしたカフェで、高橋と岡崎は出会った。

高橋さんがFacebook投稿に添えた、職場近くの風景

宇宙は夢や希望なのか

 本を書いたきっかけは2013年の独立だった、と高橋は語る。
「独立を決意したのはさまざまな想いの積み重ねの結果ですけど、科学館にいると、ずっと番組を作り続けなくちゃいけない。制作過程で出会った人や周辺のことがたくさんあるのに、埋もれていっちゃう。自分のこれまでの仕事をちゃんとまとめておきたい、というのは一つありました。だから、縁のあった出版社から『名刺代わりになる本を書かないか』と言われたときは、すごく嬉しかった」
 とはいえ、誰に向けて本を書いているのかに悩み、投げ出したくなったこともあるという。
「もちろん、厳しい環境の中にいるプラネタリウムの若い職員たちに、その素晴らしさや可能性を伝えたいという思いは強くありました。でも、こんなの読んで誰が面白いのか、書く意味はあるのかって思い始めちゃった。自分のために書いてるだけ、と本当に自信失った時期もありました。だから、全然知らない人が手に取って、こんな風にお手紙をいただくなんて、思わなかったです(笑)」

 

 そして高橋は、就職して初めて作ったプラネタリウム番組のことを語り出した。山梨県立科学館のオープン記念だったその番組は、前年に飛び立った日本人宇宙飛行士を応援するものだった。テーマは「人はなぜ宇宙を目指すのか」。
「自分が聞いてみたかったんです。どうして宇宙、どうしてプラネタリウム、とずっと考えてましたから」
 研究者を始め、道行く人や畑にいるおじさんまでインタビューをして得られたのは「フロンティアだから」「憧れです」「夢がありますよね」という言葉だった。
「でも私には、それが究極の答えだとは思えなかった。宇宙を夢や希望だけで括られてしまうことに疑問がありました。もっと、サイエンスの根源にあるものを見せる必要があると思ったんです」

科学の根源―星を見る意味とは

 有史以来、人類が天体観測から得てきた恩恵は計り知れない。星を見ることで暦ができ、農耕が可能となって文明が繁栄した。ガリレオが望遠鏡を月に向けたことで始まった近代天文学は、太陽系は言うに及ばず、宇宙の構造まで解明してきた。宇宙への飽くなき探求心は、今や宇宙の果てや、この宇宙の起源を追い求めるに至っている。高橋は言う。
「この世界はどうやってできたのか、自分たちはいったい何なのか、みんなが納得できるものを合理的に追求するのがサイエンス。天文学は、そういう人類の根源を探る学問だと思います。そのために星はなくてはならなかった。矛盾なきものを求めたときに、人間が観察できる一番好都合なものが、星だった」
 では、科学の発展が星を見る目的なのだろうか。いや、何か違う。「はやぶさ」は最後まで帰還が危ぶまれたし、X線天文衛星「ひとみ」は運用開始前に失われ、金星探査衛星「あかつき」は軌道投入が5年も遅れた。それでも人がその先へ進もうとするのはなぜなのか。そこには学問を超えた、何かがある気がする。それは何だ―岡崎のもどかしさを、高橋は徐々に、丁寧に、そして確実に言葉にしていく。
「絵を描いて、音楽作って食べていけるのか、とよく言われるけど、そうじゃない。芸術は芸術家のためにあるわけじゃないし、科学も研究者のためにあるわけじゃない。人間が生きる、人が『人間』になるときに、なくてはならないもの。人間が人間らしく生きたいと思う、そういう欲求によって科学が生まれ、芸術が生まれてきたと思う」
 高橋はピザを一口かじった。前のめりだった岡崎も座り直す。
「天文を目指す人が周りから、星で飯が食えるのかと言われる。星なんかで食べさせてもらって申し訳ないと言う天文学者もいる。だけどもっと堂々と、星は『生き死に』に大事なんだって言ってください、と私は思う」
 星が「生き死に」に大事―それは新鮮な響きだった。もしそうなら、星を見なかったらどうなるというのか。
「光害にまみれて星がまったく見えない社会は、死ぬと思う。星なんか見なくても生きられると思うかも知れないけど、現代はすでに星が見えない社会。こんなに人がストレスを抱えながら病んでいる状況は、星が見えないことと無関係ではないと思います」
 高橋の言葉に熱が入る。
「人は一人では生きられない、と言いますよね。それは本当にそうで、人は必ず他者と関わり、社会の中で生きていく。でも、私はそれだけじゃないような気がするんです。縦のつながりというか、星があって、大地があって、その間に自分がいる。その非常に大きなサイクルの中の、自然の一部としての感覚。頭の中で考えるものじゃない、一種の身体感覚としての、宇宙内存在っていう感覚。それを持って生きる人は、もうちょっと強く、軸がぶれずに生きられる力を持つんじゃないかな」

 

 
 なぜ宇宙、なぜプラネタリウム、と問い続けた高橋は、すでに答えを見出しているようだった。
「プラネタリウムにしかできないことは、もちろんあります。実際にはできない宇宙旅行とか、時間を遡るとか。でも、どんなにがんばっても、本物の、満天の星空には勝てない。大きな視野から小さい人間っていうものを見る、その視点をくれるのは自然だし、それを身体で知っていることが大事。だから、ちゃんと本物の星を見てくださいって、いつも思いますね」
 事前に依頼していた1時間を大きく超え、取材は終わった。高橋が語ったのは、人は生きるために星を見る、ということなのだろう。
 生きるために、星を見る―その言葉は、岡崎の中で反芻されながら、ゆっくりと消化されていった。
 ◇
 数日後のゴールデンウィーク。茨城の実家に帰省した岡崎は、息子と二人で真っ暗な庭に寝そべって、星空を眺めた。息子がぽつりと言った。「不思議だなあ」
何が、とは聞かなかった。彼も今、この宇宙の中に生きている感覚を掴みかけているのかも知れない、と岡崎は思った。

分断された空。東京の筆者自宅前にて

謝辞
本記事は、株式会社宣伝会議「編集・ライター養成講座」第34期の卒業制作です。同講座において優秀賞を受賞いたしました。
取材にご協力いただいた高橋真理子さん、宇宙研究部の皆さんを始め、関係各位に心よりお礼申し上げます。
2017年6月 岡崎道成

 

 

※補足
・卒業制作原稿から一部訂正しています。
・株式会社宣伝会議、および高橋真理子さんからは掲載許可をいただいています。
・星空工房アルリシャ http://alricha.net/
・星つむぎの村 http://hoshitsumugi.main.jp/web/
・高橋真理子著「人はなぜ星を見上げるのか」新日本出版

(2017-06-22 岡崎道成)