【いちくり】映画評論家でも何でもない、いちクリスチャンの僕が映画を観て考えたこと

教会はつまらない?~「天使にラブ・ソングを...」より

「天使にラブ・ソングを…」

'92年米

原題:Sister Act

監督: エミール・アドリード

出演:ウーピー・ゴールドバーグ


あらすじ

カジノの2流歌手デロリスは、ある事件を目撃したために犯人から命を狙われる。刑事が考えた安全な隠れ家が修道院。彼女はそこで聖歌隊の指揮を任されるが、お堅いことは大嫌いな彼女の影響で、修道院の雰囲気が次第に変化する。


 修道院と聞いて「わあ、楽しそう」と思う人はまずいないだろう。「世俗の楽しみを捨て、敬虔に神に仕えて暮らしている人たち」、そんなところだと思う。信仰とは無縁の、極めて世俗的な歌手デロリスが修道院をノリノリに変えてしまうというストーリーは、それが暗黙の了解になっている。修道院に限らず、僕も会社の先輩に「何が楽しくてそんな毎週教会なんか行ってんだ」と言われるし、近所の床屋さんに行く度に「毎週大変ですねえ」などと言われる。毎週日曜日に礼拝に行くことでさえ、周りの人から見るとよほど大変なことのようだ。教会という場所は、楽しいなどという気持ちとは無縁だと思われているらしい。

 

 実を言うと、僕はずっと教会がつまらなかった。僕の家は両親がクリスチャンで、日曜日に教会に行くのは当たり前という環境で育った。そういう意味では全然抵抗感はなかったのだが、子供のための教会学校(以前は日曜学校と呼んだ)の礼拝で賛美歌を歌ったり聖書の話を聞いたりするのは、本当につまらなかった。成長してからも、牧師の説教の時間は他のことを考えて時間を潰した。教会楽しいな、また来週行きたいな、と思ったことはほとんどない。でも、いやでいやでたまらないというほどではなかったので、ずっと行っていた。「日曜日のお務め」だったのだ。

 

 高校生のとき、僕は思春期の悩みというやつで、どうしたらいいかわからない時期があった。そのときだ。「あ、聖書の言葉って僕に語りかけてるんだ」と心から思えたのは。ことに、詩篇37篇5節が響いた。

 

 「あなたの道を主にゆだねよ。」

 

 他のものと違う真実さを感じた。

 世の中にはいろんないい言葉、ことわざとか格言とかあるけど、それらは僕個人のためにあるわけじゃなく、それを聞く人がその人なりに受け取めているに過ぎない。でもそのときの聖書の言葉は、神様が僕に与えてくれた言葉だと思えた。生きている神様の言葉。不思議な落ちつき、平安を感じた。今まで頭だけで聞いていた聖書の言葉が、自分とつながりがあるんだと意識した。

 

 結局僕の思いは叶えられなかったけど、そのときから礼拝での牧師の説教が急に生き生きとし始めた。そのときもう一つ新しく感じたことは、教会には、そうやって神様の言葉である聖書を、同じように信じている人たちがいるんだということだった。すごい連帯感が沸いた。同じ神様、同じイエス・キリストによって罪から救われ、変えられた人たち。そういう人たちが集まっている教会は、僕にとって本当に楽しい所になっていった。「教会が楽しい」。これは長い間時間つぶしだけだった僕にとって、新鮮な驚きだった。

 

 教会の楽しさというのは、自分と神様、自分と教会に集まる人たちとの、両方の関係の中で作られていく感情ではないだろうか。クリスチャンの歩みを、十字架になぞらえて神様との縦の関係、他の人たちとの横の関係で成り立っていると表現されることがある。イエス様も「一番大切な律法は、神を愛すること、そして隣人を愛すること」と仰っている。教会に行ってみたはいいが、「楽しくない」と休みがちになったり、いろいろな教会を転々としている人がいたら、自分が教会に何を求めているのか改めて考えてみたらどうだろう。もしかしたら、横の関係しか求めていないのではないか。この世のどんなサークルにもない、神様との関係という縦軸。それ無しには、教会の楽しさというものは望むべくもないのではないだろうか。

 

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(2017-11-05)