ずっと函館で育ちました。家にピアノがあって、姉が習っていたんですけど、私は歌が好きで、ピアノは独学で、中学校のときに1年間習っただけです。ライブを観に行くようになって、ブルースとかジャズとか、歌のない曲でもカッコいいんだって思いました。
当時知り合った人にそそのかされて、バンドでヴォーカルをやるようになったんですけど、ギターの人が高中正義が大好きで、カッコいいのがあるよって言うんで聴いたら、その人以上に私が高中にハマっちゃった(笑)。それで高中の曲もキーボードでやるようになったんです。でも函館にはそういうフュージョン系の人があんまりいなくて、ネットでいろいろ調べて拡げていきました。最初は仲間内のセッションです。高中が大好きな人たちと、ネット経由でとか、年何回かは東京に来て一緒にやる。そのうちセッションだけじゃなくて、ちょいちょいライブも誘われるようになってきて、もういよいよ出るならこのタイミングしかないなって思って、30超えてたんですけど、東京に出てきちゃった(笑)。
今やってるバンドは3つ。それ以外にも単発で頼まれたりしてます。私は基本的にはフュージョンなんですけど、他にはユーミンとか杏里とか、いろいろやってます。高中を聴くようになって、高中から繋がっている人を掘り下げていくようになったんです。YMOもそうで。だからYMO一筋というわけじゃないです。YMOを初めて聴いたのは高中を聴いて1年後くらい。ファーストアルバムで高中が弾いている曲があって、それが入口です。高中もそうですけど、YMOも函館ではやっている人がいなくて、ピアノだけで弾ける楽譜を買って一人で弾いてたりとか。気持ち悪いですよね(笑)。
YMOを弾き始めると、今度はアッコちゃんもやり始めて、そのうちピアノを弾きながら歌って、ネットに動画を流してたんです。それを見てもらったのが、横田さんと繋がったきっかけです。ネット凄いです。ネットがなかったら私、東京に来てなかったし。
私も結構オタクなんで、ものすごく追求するほうなんですよ。必要以上に調べちゃう。函館時代にも、楽器屋さんと仲良くなって、倉庫にある古い雑誌をいっぱい出してきてもらって、昔の楽器とかインタビュー記事とかほじったり。この間のライブで使っていたアナログシンセも、前から雑誌で見てて、すごい興味があった。動画で音を聴いても、今のシンセと音が違うんです。音の太さっていうか、今のではどうやってもあんな音は出ないんですよ。
私はピアノから入ったので、譜面見ながら弾くっていう癖があるんです。YMOもバンドスコア売ってますけど、79年の中でも公演ごとにやってることが全部違うんですよね。あと市販のスコアって、採譜している人が何の楽器をやってるかによって、オリジナルと違ったりするんですよ。だからコードの表記とか音符とか、譜面の通りに弾いても同じ音にならないんです。そういうのを「ここではこういう風にやってるから」とか「こうすると79年らしさが出るから」とか、そういう指示をいろいろと言われて(笑)。だからYMOのボトムラインライブの音源を自分で聴いて、こうだな、こうだなっていうのを全部譜面に起こしました。
普段は変拍子ばっかりのフュージョンバンドもやってて、譜面的に言ったらそっちのほうが何倍も複雑なんですよ。でも再現性としてはやりやすい。YMOの旋律は、再現ライブとしてやろうとすると、むしろ単純すぎて難しいです。「中国女」のイントロなんかも、当時のシンセの鍵盤は音のスイッチで、ほんとに押している間の長さしかないから、音の長い短いで抑揚をつけなきゃいけなくて。トリビュートの練習が始まってから、別なセッションで一度だけYMOを2、3曲やる機会があったんです。そのときは自分の持ってるキーボードでやったんですけど、あ、全然違うんだって思いました。
画像:YMOトリビュート
高中やってたときからかなりオタクな人が周りにいて、そういうオジサンたちに対する免疫は割とあったんです。横田さんともエフェクターの話とか、かなりやり合います。私も自分で中身はオジサンだと思ってるんで、気分的には男同士で殴り合いしてるイメージです(笑)。
ブラスの音にはこだわってます。ブラスって楽器のメーカーごとに特色があって、私はYAMAHAのFM音源のブラスが一番しっくりきます。アナログシンセのブラスの音と今のシンセは全然違うんです。今はゴージャスなのがいっぱいあるんですけど、なんか音が違う。だからアナログには憧れてて、この話がある前からYMOバンドはやりたいなって思ってて、自分の知り合いでメンバーも揃ってたんです。私は教授役じゃないので関係ないんですけど、ボコーダーも持ってます(笑)。
だからオジサンたちの気持ちはわかるんですけど、今回のメンバーがほんとにコアなYMOオタクばっかりだったんで、その期待に応えるっていうのが一番大変でした。でも私がYMOのオタクじゃなかったのが、かえって良かったのかも知れないです。終わって打ち上げをした時に、みんなが「アッコちゃんそっくりだった」って言ってくれて。本番まではそんなの一切わかんなかったから、褒められて途中から泣いちゃって。最後の方は完全にタガが外れちゃってて、横田さんが、香津美さんとか松武さんに失礼があっちゃいけないって、ハラハラしてたみたいです(笑)。
もちろん、やって良かったに尽きます。皆さんに喜んでもらえたし。やらなかったら後悔してた。でも結局、やらないっていう選択肢はなかっただろうなって思いますね。音楽界のレジェンドの渡辺香津美さんと松武秀樹さんとの共演なんて、函館時代には想像もできませんでした。当時の私に教えてあげたい。自分のバンド人生なんてまだまだですけど、その中でもこのYMOトリビュートメンバーは、本当に大切な仲間になりました。あと、普段言わないですけど、繋げてくれた横田のオッサンには感謝しています。
(了)
取材:2018年1月
(主催者の)小林さんからは最初に「歌だけじゃなくて、歌えて弾けて、自分たちのオタク度具合を理解してくれる人」っていうリクエストがあったんですよ。山内さんは、僕の音楽友達の中でもオタク度はずば抜けてたし、彼女の周りには、わりとそうやって深く掘っている人たちばっかり集まってて、オジサンに免疫があった。それでも過酷になるのはわかっていたんで、声をかけるときは躊躇しました。もし引き受けてくれたとしても、あまりにも大役過ぎたし、こっちの要求もどんどん上がっていくだろうし、それに耐えられるかどうか。
実際、リハーサルの1回目の写真をスマホで撮ってあるんですけど、もう死にそうな顔してる。これで最後までやり切るのは相当大変じゃないかなって思いました。でも2回目は見違えましたね。よっぽど家でやってこないとああいう状態にはできない。相当悔しかったんだと思います。そこでへこたれないっていうのは、そういう素質があったというか、元々が周りの高い要求に応えられる人だったんだと思います。でもやっぱりリハーサルのときに、声をかけられないくらい苦しんでるのがわかる。だからずっと、巻き込んじゃって悪かったなって、早く解放してあげたいっていう気持ちの方が強かったですね。
最後の最後までみんな言わなかったけど、(小池)監督からも「すごい耳のいい人を紹介してくれてありがとう」って言われてたんです。山内さんが作った楽譜を見せると、監督が弾いてみてほぼ完ぺきだったんで。それだけプライベートの時間をつぎ込んでくれたっていうのが、ありがたいというより申し訳なさのほうが大きくて。だから、終わってほっとはしたんだけど、そのときに僕も「声かけて良かったの?」っていうのを面と向かって聞けずにいるわけですよ。さすがにこっちも恥ずかしいし、即ブロックされそうだし(笑)。だから今回ぜひ同席させてもらって、どうだったのか聞いてみたかったんです。山内さんにお礼言いたかったし。
談:横田信一郎(総監督)
山内亜矢子
1981年、函館生まれ。音楽活動のため上京し、フュージョンを中心とした数々のバンドでヴォーカルやキーボードなどで活躍、プロとの共演も。今回は矢野顕子役でキーボードを担当し絶賛を浴びる。
(画像:YMOトリビュート)
(構成:岡崎道成)
Thank you Good night ! 予告編
横田信一郎さん「MCやってよかったのかな」
小池実さん「目指したのは "いいバンド"」
山内亜矢子さん「ふざけんな、オッサン!」
布施雄一郎さん「ハイハットなしで、どうしようかなぁ」
小林淳一さん 「俺、何のためにやってんだ」
岡崎 「トリビュート考」