「トリビュート」考

~38年を経て甦ったYMOの音

トリビュート : 感謝・賞賛・尊敬などの気持ちを表すしるし。賛辞。捧げ物。「トリビュートアルバム」「トリビュート作品」(goo国語辞書より)


「YMOトリビュートライブ」の告知をFacebookで見たのは7月半ばだった。

初めは、熱烈なファンによるコピーバンドのライブだと思った。
メンバーの一人が知り合いだったからだ。
しかし、安くない。ちゃんとした値段だ。
えっ、渡辺香津美?
えっ、松武秀樹?
本物じゃないか。
すぐに、これは大人の夢の実現なのだと悟った。
告知を見て3分後、スタンディングのチケットを入手していた。(それでも「遅い」という向きもおられるだろう)

 

 

はいわゆる「YMOオタク」ではない。
持っていたレコードは1枚だけだし、コンサートも行ったことがない。
楽器の名前なんぞ、まるで知らない。
FMラジオで流れたものをカセットテープに録って聴いていただけだ。
高校卒業してから30年、ほぼ聴いていない。
再び聴くようになったのはここ1、2年だ。
あれを「タンス」と呼ぶこともネット時代になって知った。
その程度である。
でも確かに「あの頃」を知っている、YMO世代ではある。
実際、YMOは好きだ。
いや、大好きだ。

 

 

夢。
こうなったらいいな、ああなったらいいな。
夢はいくらでも膨らませられる。
楽しいものだ。
そして、もしそれが実現したら、どんなに幸せを感じるだろう。

私は2年前、思いがけず、仕事を通じて30年来の夢を叶えることができた。
他人から見ればささやかな、個人的な夢だ。
でも、待っているだけでは成し得なかった。
チャンスは訪れる。待っていた者がそれを掴むとき、夢が実現する。
その不思議さと幸福感を、存分に味わった。
だから、わかる。
この人たちも、それを体験するのだ。
それを、一緒に見たい。
それに、YMO聴きたい。
YMO、好きだし。
ライブ行ったことないし。
松武さんと香津美さんだし。

そういうわけで私は、「思い入れ」に共感したのである。
この人たちの夢に一票を投じたのだ。
この人たちが目指したのは、オリジナルのツアーの再現だという。
いったい、何が起きるのだろう。どこまで迫れるのだろう。

 

 ◇

 

のクオリティは、想像を絶した。
「良かったよ~」などと友達に吹聴する次元のものではまったくなかった。
もちろん、オリジナルのお二人がいてこそのことだろう。
しかしそれは当時のマシンとか、超絶テクニックとかという、即物的なもの(いや、それはそれで十分凄いことだが)を遥かに超える意味を持っていたように思う。

それは恐らく、メンバーがそれを実現していく濃密な時間とコミュニケーションの賜物だ。
メンバーが全員本物では起こらなかっただろう、尊敬する側とされる側の相互作用。
憧れの人と共演する緊張。
あり得ない状況が形になっていく不思議な感覚。
とんでもないことをしているのではという不安と恐怖。
そしてもちろん、ちらちらと沸き起こる感動。
これこそが、トリビュートの醍醐味だっただろう。
関連投稿の中で最も印象的だったフレーズは、終わってからのメンバーのこの一言だ。

「香津美さんが前で弾いてるのを観ながら、なんで俺ここにいるんだろう?的な気持ちでした」(小林淳一氏 8月18日)

 

 

こで実現されたものは、オリジナルのツアーではなかった。
決して、そうではなかった。
それはタイムスリップであり、今を生きる喜びであり、明日を生きる勇気であった。
「YMOトリビュート」という本物を作り上げた人たち。
今頃、どんな気分でいるのかを想像するだけで、こみ上げてくるものがある。
一観客だった私でさえ、こんな気持ちなのだから。

 

8月22日

 

 

YMOトリビュートライブ告知(BARKS)

YMOトリビュートライブ オフィシャルFacebook

 

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-- 岡崎道成「トリビュート考」

 

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