ある宣教師審査会

~ヨナの場合

 宣教師は、神の福音を人々に宣べ伝えるために遠く派遣される人です。

 これから、宣教師審査会が開かれようとしています。この審査会は、志願者を宣教師として採用するどうかを判断する場です。方法は志願者の面接、そののち複数の証人からの聴き取りです。さあ、間もなく始まります。開始前に、旧約聖書のヨナ書を読んでおくと良いかもしれません。(Wikipedia「ヨナ書」)

 

参考:“A Worm’s Eye View of Missions”  by Warren Wiersbe


画像:いらすとや

宣教師志願者が椅子に座りました。

 

「それではまず、志願者の面接から始めます。名前を」

「ヨナです。アミタイの子、ヨナ」

「出身は」

「へブル人です」

「ではヨナ。まず尋ねる。あなたは宣教師になることを志願しているが、神の召しを受けているか」

「はい。これまでに2度、召しを受けました」

「それは確かに、神からの召しか」

「はい、確かです。私は神から『立ってニネベに行け』と命じられました。私は神に召されました」

「なるほど、神はあなたを呼ばれた。では次に尋ねる。ヨナ、あなたの神学は福音的か」

「もちろんです。私は伝統的で福音的な神学に立っています」

「それはどのようなものか」

「私はイスラエルの神、主を信じています。主は情け深く、あわれみ深い方であり、怒るのに遅く、恵み豊かであり、わざわいを思い直される方です。私は神である主がおられることと、主の救いを信じています」

「よろしい。あなたは神に呼ばれ、神学は福音的だ。では、あなたは祈るか」

「私は祈るか? 私はかなり変わった場所で祈りました」

「ほう? 神はあなたの祈りに答えてくださったか」

「はい、神は答えてくださいました。それは奇跡のような出来事でした。何が起きたかは、魚に聞けばわかるでしょう」

「ところでヨナ、あなたは人生を深く考えたことはあるか」

「私より深いところで人生を考えた人はいないでしょう。そこは死のような場所でした。私は死からよみがえったようなものです」

「深い経験はこの仕事には不可欠だ。もう一つ尋ねる。あなたは神のメッセージを説いたことがあるか」

「はい、もちろんあります。聞いていませんか。私は大きな町へ行きました。そこには12万人もの人がいました。私のメッセージを聞いて、人々はみな悔い改めました。人間だけでなく、家畜までも荒布をまとって神にへりくだったのです。驚くべきことです。私は確かに彼らに、神のメッセージを伝えました」

「ヨナ、あなたは聖書を用いるか」

「はい。私はよく詩篇を用います。暗唱しているんです。私はモーセもよく引用します。もっぱら欽定訳ですが」

「あなたは勇気を持っているか。宣教師には勇気が必要だ」

「はい、私には勇気があります。私は嵐で転覆しそうな船を救うため、自分を海に投げ入れるように言いました。私ほど勇気がある者はいないでしょう」

「よろしい。質問は以上だ。別室で待つように」

 

ヨナが別室に移りました。

 

委員たちは言いました。

「素晴らしいじゃないか。神に召され、福音的で、祈りも答えられ、死ぬほどの経験をし、聖書を用いて説教をした。そして勇気がある。彼を採用するべきだ。彼こそ我々が探し求めている宣教師だ」

 

最初の証人は、船の船長です。

 

「あなたはどこでヨナを知ったのか」

「俺の船だ。タルシシュ行きの船にあいつが乗船していた」

「ヨナはどんな人か」

「あいつはとんでもねえ野郎だ。俺たちが溺れそうになったのはあいつのせいなんだ。しかもあいつは、俺たちが死にそうなのに眠っていた。あいつを宣教師にするだって? 俺たちが神に必死に祈っているときに、自分の神にも祈らずに眠っているようなあいつを? もう少しで、俺たちは全員死ぬところだったんだ」

画像:いらすとや

次の証人は魚です。

 

「あなたとヨナの関係は」

「彼を飲みました」

「ヨナについてどう思うか」

「彼は愚か者です。彼は神からニネベに行くように命じられましたが、断りました。私はただの魚ですが、神の命令には喜んで従います。だから彼を飲みました。すべて造られたものは、神の命令に従います。当然です。でも人間はそうじゃない。愚かです。中でもヨナは群を抜いています。彼が心を入れ替えるのに、3日3晩かかったんです。それに、委員の皆さん、私はあげく彼を消化できずに、吐き出したんです」

 

次は、滅びから救われたニネベの人々です。

 

「ヨナについてどうぞ」

「ヨナは私たちの町にやってきて、悔い改めるように説きました。『40日後にニネベは滅びる』と。彼は命の恩人です。神の使者です」

「では彼に感謝していると?」

「いえ、その後が良くなかった。彼は、神が私たちを滅ぼさないのを見て、怒って小屋に閉じこもったのです。彼は、私たちが滅びることを望んでいたのです。これは大きな問題です。彼は神のメッセージを伝えてくれたのだから、感謝するべきなのでしょうが・・。でも私たちは、そういう気持ちになれません」

 

最後の証人は虫です。

 

「ヨナを知っているか」

「はい。でもヨナが私を知っているかどうかは、わかりません」

「あなたは何をしたのか」

「ヨナの日除けになっていた植物を噛みました。それで植物は枯れました」

「ヨナはどうしたか」

「彼は幼稚です。彼は、40か50か知りませんが、まるで子供です。彼は感情の赴くままに行動します。彼は怒って小屋に閉じこもっていました。彼は神に怒っていたんです。彼の思い通りにならなかったからです。彼はニネベが悔い改めるよりも、滅ぼされる方を望んだのです。神は彼を海の底から救い上げましたが、彼は人を救いたいとは思わなかったのです。神は恵みに満ちていますが、彼はそうではない。神はあわれみ深いが、彼はそうではない。神は怒るにおそく、わざわいを思い直しますが、彼はそうではない。どうして彼が神の宣教師になれるのでしょう」

「彼は祈ったのではないか」

「祈りましたが、彼の祈りは自分のことばかりです。彼は魚の腹の中で、自分の命が救われるように祈りました。彼はニネベが救われたのに、死んだ方がましだと祈りました。彼は葉が日差しを遮るのを喜んだかと思うと、それが枯れるとまた死ぬほど怒りました。まったく幼稚な人間です」

画像:いらすとや

困った委員会は、最後にもう一人、特別な証人を呼ぶことにしたようです。

 

「お名前を」

「イスラエルの神、主だ」

「あなたはヨナを召しましたか」

「彼を二度呼んだ」

「ヨナはそれに従いましたか」

「外見的には従った。しかし内面的にはそうではない」

「それはどういう意味ですか」

「ヨナはわたしの命じたことをしたが、心からではなかった。彼は、そうしなければならなかったから、それをしたに過ぎない」

「先の証人たちの証言は事実ですか」

「すべて事実だ」

「では主よ、私たちは、彼を不採用にするべきでしょうか」

「委員たちよ。彼にもう一度チャンスを与えることを勧めたい。彼がまだ得ていない、そして得なければならない訓練がある。彼にそれを教えたい。それを学べば、彼はあなたがたが願うような宣教師になるだろう」

「主よ、あなたがヨナに求めているのは何ですか」

「わたしは、わたしに仕えさせるために、ヨナのすべてを召した。しかし最初、ヨナはわたしに従わず、体を自らの望む方向に向けた。だからわたしは彼をとって低くした。2度目には、ヨナはわたしの命令に従った。しかし彼の心はそうではなかった。わたしが望むものをヨナにわからせるため、わたしは植物を生えさせ、日陰を作った。そして虫に命じて植物を枯れさせると、彼は怒った。わたしはヨナに言った。『お前は、自分で骨折らず、育てもせず、一夜で生え、一夜で枯れた植物を惜しんでいる。まして、わたしは、あの大きな町と人々を造ったのだ。わたしは彼らを惜しまないでいられようか』。

ヨナは学ばなければならない。失われる魂に対するわたしの痛みを。わたしがどれだけ彼らを愛しているかを。ヨナに与える最後の学びは、わたしに心をささげることだ。わたしを愛するなら、わたしが造った人々をも愛するはずだ。わたしが彼らを造ったのだから。わたしの命令を守るとは、わたしの意志を知って行うだけでは十分ではない。わたしが感じる痛みを知り、心からそれを行うことだ。宣べ伝える相手を愛さないのなら、どんな良い神学も、どんな良い説教も、どんな深い経験も、わたしに心をささげることにはならない」

 

その後、委員会は結論を出しました。ヨナが別室から呼ばれます。

 

「ヨナ、証人たちはあなたについて、あまりよい証言をしなかった。しかし神はあなたの味方だ。神は情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵み豊かであり、わざわいを思い直されるお方だ。神はお前にもう一度チャンスをくださる。神の愛を学びなさい。神の痛みを学びなさい。うわべだけの仕え方ではなく、神のしもべとして、心から神のみこころを行いなさい。それではヨナ、あなたの決意をヨナ書4章『12節』として書きなさい」

 

【完】

 

 

・本作品は sermonindex.net に掲載されている Warren Wiersbe 師の説教 “A Worm’s Eye View of Missions” を基に脚色したものです。

sermonindexからは無償公開を条件に使用許可を得ています。

 

2018-01-11