横田信一郎
1969年、東京生まれ。今回のYMOトリビュートライブでは「総監督」を務める。本業の自動車パーツ加工の傍ら、数々のユニークなプロジェクトに関わっており、その活動範囲と人脈は冗談抜きで世界規模。
画像:YMOトリビュート
今回のイベントの発端は小林さんです。2015年に開催されたYMO楽器展の打ち上げで、小林さんが松武さん、香津美さんに「1979トリビュートライブをやったら、出演お願いできますか?」と話をしたのが最初です。僕は小林さんと同じ気持ち、同じ体験を共有したいという気持ちがあったので、雑用でも何でもするから関わらせてほしいと頼みました。その後、ベース小池さん、ドラム布施さん、キーボード山内さんと決まっていって、あとはお二人が日程を出してくれれば動ける、という状態になりました。それが今年の2月です。
僕にとっても、YMOは自分の人生を変えたグループです。小学4年のある日、友達の家で「テクノポリス」を聴いたのがきっかけで、親に「少年野球をやめてピアノ習わせてくれ」と頼んで、5、6年生のときに基礎だけ習いました。そういう自分の音楽の原点なので、携わった責務として、何かの形で恩返しをしたかったんです。幸い僕も松武さんとはお付き合いがあったので、松武さんがいないときの代役を任せてもらえました。松武さんが入るまで、僕がシーケンサのデータを作って、クリックも作ってみんなに配信して。
何か事が始まるときに、そこに居合わせることがよくあるんです。今回も、周りから「なんで横田さん、そこにいたんですか」って聞かれるんですけど、何か面白そうなことが起きる臭いを感じるというか、歴史的な瞬間になるんじゃないかとピンと来る。これから誰を巻き込むかというときにいて、皆でわいわい言いながら立ち上げるんです。
今回は演奏したメンバーや僕以外にも、舞台衣装の人民服を作った人や、ドラムを提供してくれた人、リハーサルで機材のメンテナンスをしてくれた人が関わってます。
こういうプロジェクトの初期って、なかなか伝えられないんです。まだ役割が決まっていなかったり、調整役がいなかったりで、一番大変な時期だから。それを超えると役割がだんだん決まってくる。そういう駆け出しのときが一番面白いんですけどね。
今回のトリビュートには、みんないろいろこだわりがあるんです。ドラムも、最近のだったらもっと叩きやすいのがあるのに、わざわざ当時の叩きにくいドラムを使ってます。観客席からは見えないんですよ。だけど提供してくれた人からすれば、叩きにくくても当時のモノを、当時の配置で使ってほしいんです。練習のとき、布施さんが叩きやすいところにシンバルを置くんですけど、翌朝来ると元の位置に戻っていたりする。
衣装を作った人も、テーラーから上がってきたのを見て「襟の角度が3度違う」と言うんです。「横田さん、トークで絶対衣装について言わないで。襟の角度が違うって言われたら嫌だから」って。「でもステージの下から見たってわかんないじゃない」と言っても、「いや、絶対恥ずかしいから」って。結局ライブが終わった後、みんなから回収して、テーラーに襟の部分だけ直させた。「納得いかないんで」って。
僕らも「何年何月の、どこどこのライブの音はこう」と嫌になるくらい聴いてます。だから特に山内さんは大変だったと思いますよ。全然世代が違うのに、「当時のシンセはこう弾かないと表現ができない」みたいに、オジサンたちから細かくオーダーを入れられるんですから(笑)
こだわりって、他人からするとどうでもいいことなんだけど、当人にとってはそこがすごく大事なんです。ただコピーバンドをやるんじゃなくて、YMOが始まった当時の楽器やその音を、みんなに体験してもらいたい。機材はあと5年もしたら、スペアパーツも含めて完全に寿命を迎えるかも知れない。旧型の車を、展示するだけじゃなくて、こういう形で動いているところを見せたい。そうやって、こだわってきたものを何かの形で残しておかないと。
ベースの小池さんは、生まれてから持てる技術をあの演奏にすべてつぎ込んだって言ってるし、布施さんも首をわざわざあんな歌いにくい角度のマイクで歌うとか、ユキヒロ愛に溢れてる。今回のライブにはそういういろんなこだわりが含まれているんです。
リハーサル中の小池さん(左)、布施さん(右)
画像:YMOトリビュート
僕の知り合いに、カウンタックに憧れているのがいて。カウンタックって、ダブルクラッチとか、古い車ならではの面倒臭い乗り方をしないといけないんです。乗れる機会なんて、もしかしたら一生ないかも知れない。でもいつかそんなチャンスが巡ってきたときに、「これ、どうやるんですか」じゃなくて、その瞬間のために、わざわざそのやり方を本を読んで練習している。いまだに乗れてませんけど(笑)。夢を諦めないっていうのは、そうやっていつ、どう起きるかわからないことに備えていることじゃないですかね。
そういう昔からの思いが、いつしか薄れたり、折れかけたりすることってあるじゃないですか。30代のときは「戦艦大和のプラモデルを作るのが老後の楽しみ」とか冗談で言っていたのが、50過ぎて老眼が入ってきた時に、そんなの定年後じゃ無理だと悟る。集中力も体力も衰えることを考えると、10年後じゃできない。それを、同世代の小林さんが先頭切ってやってくれた。「俺、ずっと夢持ってたんだぜ」って。
ライブだけ見てたら「ギャラ払ってんだろ」みたいに思われるかも知れないけど、小林さんの夢は「1日にしてならず」なんで、昨日今日始まったことじゃない。中学生以来の夢を、何十年かけて実現させた。それこそカウンタックの人みたいに、いつ来るかわからないときに備えてやってきた。
今回松武さんが出てくれたのも、小林さんが昔から松武さんのライブに行き、忘年会に足を運び、海外公演にもサポートとして行く、そういう20年、30年かけた関係づくりがあったから。
費用だって、あの規模のことをやるには言い出しっぺが最初にまとまったお金を用意しないと成り立たない。赤字になっても「俺がやりたいんだから、最悪俺が出す」って引き受ける覚悟がないと。
いろんな思いの人がいるし、いろいろ言われるかも知れないことを全部受けとめる覚悟をして、あのトリビュートをやってるんです。
画像:YMOトリビュート
YMO Tribute live TRANS ATRANTIC TOUR again (2017年8月16日 at 東京キネマ倶楽部)
プレイリスト(提供:YMOトリビュート)
Back in Tokyo
画像:YMOトリビュート
(後編へ続く)
Thank you Good night ! 予告編
横田信一郎さん「MCやってよかったのかな」
小池実さん「目指したのは "いいバンド"」
山内亜矢子さん「ふざけんな、オッサン!」
布施雄一郎さん「ハイハットなしで、どうしようかなぁ」
小林淳一さん 「俺、何のためにやってんだ」
岡崎 「トリビュート考」