【いちクリ】映画評論家でも何でもない、いちクリスチャンの僕が映画を観て考えたこと

時間が盗まれる?~「モモ」より

原題:Momo

監督:ヨハネス・シャーフ

出演:ラドスト・ボーケル ジョン・ヒューストン


あらすじ

円形劇場の廃虚に住む少女、モモは、人の話を聞くことがとても上手。モモと話していると、誰もが気持ちが安らかになっていく。そこへ、時間をエネルギーとして生きている時間泥棒が現れる。時間をとられた人たちは、何かに追われるような気持ちで毎日あくせく生活するようになる。モモは、マイスター・ホラという不思議なおじいさんの助けを借りて、時間泥棒たちからみんなの時間を取り戻そうとする。


 【以下にはネタバレがあります】

 

ドイツの作家ミヒャエル・エンデの童話が原作。童話とはいえ、とても奥が深く、実に面白い。大人の鑑賞に堪える童話だ。

 

 どうしてこれが面白いのかというと、この物語はまさに僕たちのことだから。誰でもこれを読んで思い当たることがある。毎日の生活。いつも忙しい生活。まあこんなもんかなと過ごしている。「時は金なり」。時間を無駄にしない。ぼーっとしてる暇があったら、単語の一つも覚えた方がいい。それが当たり前だと思っているところへ、「あ、これって当たり前じゃないんだ」と気付かせてくれる。僕たちが節約した時間は、どこに行ってしまったんだろう。僕たちは自分で時間を節約していると思ってたけど、本当は僕たちが時間に追われてるんじゃないか。そんな、いろんなことを考えさせられる。

 

 この「時間を盗まれる」というのは、的を得た発想だなあと思う。節約した時間は、僕たちのもとに戻ってこない。映画にあったかどうかよく覚えていないが、原作では、道路掃除夫のペッポが「掃除が楽しくない」と嘆く場面がある。延々と続く道路の掃除。今の一歩、今の一掃きを楽しみながら掃除していた彼が、追われるように掃除するようになって、楽しくなくなっていく。作家志望のジジも、人気者になって仕事が殺到する。創作の喜びは失われ、一度ウケた作品の使い回しでただ仕事をこなしていく。彼らは自分を見失い、流されていく。そう考えると、盗まれた時間というのは、つまり自分自身のことなんだろう。モモは、そんな見失った自分をまた取り戻させてくれる。モモは、黙って彼らの話を聞く。反論もせず、意見もせず、ただ黙って彼らの話を聞く。「聞いてくれる人」の存在は、自分の心と向き合う時間を与えてくれる。

 

 聖書を読んでいてよく心が慰められるのも、これと似ているような気がする。モモの大きな瞳に見入られてはっと気付くように、聖書を読むときに、自分に向けられた神様の視線を感じる。神様がいつでも心の内に住み、共にいて下さる。それを思い起こさせる。

 

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」マタイ11:28

 

(2021-09-09)