武田砂鉄さんインタビュー

〜「紋切型社会」に見る非主流な生き方

 編集講座のインタビュー実習で、対象が作家の武田砂鉄氏と知らされて読んだ処女作「紋切型社会」。その中に「吉展ちゃん」の名前を見つけたとき、武田氏に呼ばれた気がした。

「吉展ちゃん」は、先の東京五輪前年に起きた誘拐殺人事件の被害者の名前だ。武田氏は同書の中で、事件を綴った本田靖春の「誘拐」を「ノンフィクション史に残る傑作」と絶賛していた。この事件では、吉展ちゃんをさらった犯人の音声が録音・分析され、「声紋」として様々な特徴が抽出されている。この分析器を作った企業に勤務する中で、幾度この名前を聞いただろう。何かしら因縁めいたものを感じた筆者は、著書の中にこの名前が出てきた理由を知りたくなり、インタビューを志願した。(本文中敬称略)


原点

 「紋切型社会」は、世の中にあふれる「よく聞くフレーズ」を、飢えたオオカミのように執拗に攻め立てる。新婦が読み上げる手紙、書籍や映画につけられたコピー、被災地に行って逆に励まされた感動―。一体これらの言葉の何が武田の気に障るのか。ある種の戸惑いを覚えながら読んでいくうちに、武田が、言葉の作為というものに激しい嫌悪感を示していることに気づいた。しかもそれは、言葉を発した者が意図的かどうかを問わない。「あちらは騙すつもりがなくココロの底からマジだったりするものだから」という徹底ぶりは一見、偏屈以外の何物でもない。武田はなぜ、このような文章を書くようになったのか。

 

  きっかけは中学時代にあった。サッカー部でキーパーをしていた武田だが、“ものすごく下手で”レギュラーにはなれず、ずっと控えに甘んじた。しかし3年生のとき、その控えの座すら2年生に奪われた。こんな残酷なことがあるのかと、立ち直れないほど打ちのめされた武田が、その2年生に「武田さんのお陰ですよ」とフォローを入れられた。そのとき武田は、(何が「お陰」だよ)と思いながらも「いや、そんな、いいよ」と笑って返した。場を取り繕おうとする言葉に対する自虐性な反応は、武田を言葉尻を捉えるという「屈折した方向へ」向かわせたという。しかし、言葉というものへの鋭敏な感覚の種は、前年の中学2年生のときに起きた事件によって、すでに蒔かれていたのだ。

 

メタル

 武田は、1997年に起きた神戸連続児童殺傷事件の犯人「少年A」と同じ1982年に生まれた。それがゆえに、外側からこの世代を一括りで語ろうとする物言いに対して、強い抵抗感を示すようになる。特に「自分と異なる人と対峙しようとしない」メディアやマスコミに対して。

 

「中2であの事件があったとき、テレビのワイドショーで「キレる若者」とか、「最近の若者は怖い」とか、乱暴な意見をたくさん見させられた。それに対する苛立ちが、僕にとってはピンポイントだった。なんだ、このクソみたいな社会は、と思った」

 

 社会への苛立ちを抱えた中学2年生の武田は、ラジオで聞くメタル音楽にのめり込んで行く。

 

 「最初はB'zが入り口だった。結構うるさめの、「死ね」とかアジテートするような内容ばかり。中2にもなるとみんなバンドをやり始めるけど、メロディアスな、オシャレ系が流行っていて、そっちになだれ込んで行く。そういうのを見て、「そんな音楽やりたくねえ、メタルこそ本物の音楽だ」と。ママゴトみたいなロックじゃなくて、悪い方へ向かった」

 

 社会に対する怒りを代弁してくれる激しいメタルに浸りながら、武田は音楽ライターに憧れて、大学ノートにアルバムのレビューを書き綴った。

 

「『メタリカの4枚目は甘い』とか『初期の衝動がなくなっている』とか、すごく辛辣なレビューを書いては音楽雑誌に投稿していた」

 

 そんな武田に転機が訪れる。大学1年のとき、現在でも続くロック雑誌「Burrn!」に、武田のレビューが掲載されたのだ。

 

「当時、音楽雑誌の投稿欄に載るっていうのは、すごいステータスだった。すごく嬉しかった」

 

 自分の書いた原稿が活字となる快感に目覚めた武田は、その後もメタル系のアルバムを買いあさり、レビューを投稿し続けた。「中2ぐらいのときからモヤモヤしてたものが、形になってきた」という武田は、自分の思いを吐き出す方法を活字で獲得した。「ライター」武田砂鉄の誕生である。

 

チャンネル

 およそ武田の文章は、批判的、否定的だ。試しに武田の作品から、ある一章の中の「否定語」を数えたら、320行余りの中に53回出てきた。6行に1回の頻度で何かを打ち消している。

 

「現状を否定してやろうという気持ちは特にない。目の前にあるものを見て、何かがないと思ったらないと書くし、あると思ったらあると書く。そこは選別していないが、読まれた上で、批判的な表現が多いと感じるなら、そういうチャンネルのものを書いているのだろう」

 

 武田の「目の前にあるもの」とは、処女作で切り刻んだ日常生活の言葉のみならず、音楽、ファッション、政治と、さまざまなジャンルに及ぶ。あらゆる「こうでなければならない」に対して、武田は噛みつき続ける。相手が一般人であろうと、芸能人であろうと、またもちろん、一国の宰相であろうと。

 

「今の政治を見ていると、「我々」、「日本人」、「国益」と、主語がでかい。そういう主語の大きさが暴走しているのは確かで、それに対して「私」とか「僕」とか「私たち」という小さな主語にしていくことを、特にこの時代は意識しなくちゃいけないと思う」

 

 武田は「空気」、すなわちそれを醸し出す「みんな」という言葉を極端に嫌う。

 

「支持率57%もあるじゃないか、みたいなことですべて通そうとすることは、すごく危険なことだと思う。」

 

 「空気を読む」こととは対照的な一文が、冒頭に挙げた本田靖春の「誘拐」にある。本田は「文庫本のあとがき」に、「きわめて不幸なかたちで終わった二人の冥福を改めて祈りたい」と書いた。武田は「紋切型社会」の中で、この「二人」に傍点を打った上で、「ノンフィクションの役目は、ここに『二人』と書けるかどうか、なのだ」と書いている。 「誘拐」を読むと明らかなように、「二人」のうち一人はもちろん被害者の吉展ちゃん、そしてもう一人は、死刑になった加害者、小原保である。極悪非道、非人間的という以外の言葉が見つからないと思える事件の「事実」を丹念に描き出し、吉展ちゃんの遺族をして「犯人の側にもかわいそうな事情があったことを理解出来た」と言わしめた本田の文章を、武田は「人間を見つめる強度が本田の作品には満ちている」と捉えた。それは武田自身の文章に対する姿勢に通じる。武田は言う。

 

「主流を行きたくない、流行っているものは見たくない、という思いは強い。揚げ足とり、文句ばかり、と言われるが、それが重要なことだと思っている」

 

結実

 かつては書籍の編集者だっただけに、武田の本に対する思い入れは人一倍強い。

 

「最初の作品次第で、物書きとしての将来が決まる。「紋切型社会」で自分が書き手の立場になったときに、これをどういうものにするか、すごく慎重になったし、周りの人たちとの議論にも熱が入った」

 

 「原稿とは、ひとまず人をハッピーにしなければならないのでしょうか?」と編集者に問うたこともあるという武田は、誰かを喜ばせるために本書を書いたのではないのだろう。しかし「叩くべきものは叩かなければならない」という、書き手としての矜持が一冊の本に結実した思いを、武田は素直にこう語った。

 

「自分以外のところに本というものを残せたということは、うれしい」

 

 現在30代半ばの武田。これから世の中を切り取り続けるのか、本田のようなノンフィクションを書くのか。物書きとしてやりたいことは何かを尋ねる前に、インタビューの持ち時間は終了してしまったが、縁あって言葉を交わす機会を得た者として、武田のこれからを見続けていきたい。

 

(取材:2017年4月) 

参考文献
武田砂鉄「紋切型社会」朝日出版社 2015年
本田靖春「誘拐」ちくま文庫 2005年

※本記事は編集・ライター養成講座での課題を一部改変したものです。掲載には武田氏および講師の木村元彦氏(ジャーナリスト)の許可を得ています。

(2017-07-14 岡崎道成)