Thank you Good night!YMOトリビュート

~「目指したのは “いいバンド”」小池実さん(後編)


トリビュート実現まで

画像:YMOトリビュート

 YMO楽器展が2014年から始まって、翌年にかけて大阪、横浜赤レンガ倉庫でやりました。そのときの展示機材は79年ツアーのものが中心です。音は出さず、並べて展示するだけです。

 

 でもそうやって並んでるのを見ていると、いろいろ夢語りが始まるわけですよ、これ鳴らしてみたいねとか。でも道具を並べて見せるのと、ちゃんと鳴るようにして演奏者立てるのは、大変さが全然違う。僕なんかは、そこまで欲張らなくていいんじゃないかって思ってたんですけど、小林さんは「これで、ギターで香津美さん来てくれたら凄いよね」って。僕が「ダメ元でオファーしてみたら」なんて言ったら「じゃあ、もし来てもらえたら小池さん、ベースだからね」って。実現するわけないって思ってたから「あー、はいはい、やるやる」なんて言ってたんですよ(笑)。

 

 そしたら香津美さんがOKしてくれたと言う。「あらら、これもう抜けられない」って。それは2年くらい前だったと思うんですけど。でも香津美さん本人はやるって言ってくださったんだけど、もちろん多忙を極めている方だから、スケジュールの空きがなかなか出なかった。

 

 ようやく今年6月に「8月のあの辺なら空いてる」って。それですぐ小林さんが動いて、場所も押さえちゃった。香津美さんOK、箱もOK、それじゃやるしかないと、演奏者を探し始めました。

 

 YouTubeで、布施さんが赤い人民服を着てドラムを叩いているのを観ていたんですよ。それを観て、話しやすそうだし、いいかなって。スケジュールが合うか心配だったんですけど、小林さんを通じてお願いしてもらってOKが採れた。

 

 セカンドキーボード選びは難航しましたね。そこはやはり女性で、というのはありました。バンドでキーボードを弾いてて、ステージ映えする人って思ってたんですけど、横田さんが「知ってる人がいる」ってことで山内さんが挙がりました。それで練習を始める前に1回顔合わせで飲んだときに「ああ、いい感じ」って。飲んだくれだったから(笑)。品が良すぎると困るんで、そこそこ飲む人ならうまく行けるだろうって。バンドマンノリだったのが良かった。それでメンバーが決まって、そこから2ヵ月ぐらいで仕上げる必要がありました。

 

 リハーサルは大変だろうなと思っていたんですけど、実際すごい大変で。まず、僕らだけで5回くらいやったかな。そこから芝浦スタジオに行って、本番と同じ機材をセッティングして、松武さんのタンスも入れてやりました。プロ用の芝浦スタジオでやったのは、物理的にある程度広い場所が必要だったから。それと、アンプを使って鳴らす楽器はほとんどなくて、ライン出力の楽器がすごく多かったので、ちゃんとミキサーさんをお願いしたかったんです。そうなると一般用のスタジオの大きいのを借りるよりは、少々高くても、人に入ってもらったほうがいい。

 

 芝浦は3日間取ったんですけど、1日だけ松武さんと香津美さんにも来ていただいて、全員でやりました。その日が一番感動しましたね。「おお、ラジオで聴いてたあの音だ」って。

 

目指したのは「いいバンド」

画像:YMOトリビュート

 まあ、僕は監督としては厳しかったかなと思います。以前に比べたら言い方は随分優しくなったと思うんですけど(笑)。

 

 「趣味なんだから、好きにやればいいじゃん」って思うかも知れないけど、でも人様からお金をとってやるわけだから、内輪ウケで終わるわけにはいかない。そこは「商品」ですから、一定のクオリティがないと絶対ダメ。もう一つは、そこまでやるんだったら、他の人に真似されないように、突き抜けてなくちゃいけない。その2点ですね。その突き抜けた感が音としてちゃんと出てくれないと、僕は納得しないんですよ。そこまでやって初めて、お客さんに「今日来てよかった」って思ってもらえるんじゃないか。そこまで完全にうまくいくケースはなかなかないんですけど。

 

 ただ、コピーバンドって、似せる方向で行くと絶対似ない。なぜなら他人がやっているから。本人がやってもばらつきがあるのに、他人がやっても絶対に同じになるはずがないんですよ。かと言って、ある程度似てないと「似てるね」にならない。そこがジレンマ。それでいて個々に追及していると、全体としてバラバラ感が残ってしまう。みんな細かいところに走ってしまって。そこのバランスが一番難しいところです。最終的な落としどころとしては、しっかり演奏して、たとえ似てなくてもいいから「いいバンド」になることを目指しました。そうでないとお客さんに喜んでもらえない。それがクリアできるまでは「ダメ」としか言いませんでした。

 

 今回は1979年の音というのが最初から頭にありました。ただ、ぴったり同じは狙っていない。同じにしたいのなら音源をかければよくて、わざわざ人がやる必要はないです。同じように鳴らしたいのは当然ですけど、それよりも、ちゃんといい演奏になっているか。それが「いいバンドになっているか」ということです。人が演奏するところを見ていただくので。

 

 今回は当日にゲネプロ(通しリハ)ができました。これは機材を前日に組めたのが大きかったです。楽器展とかの経験で、機材を組むのとバラすのは早くなりましたから(笑)。当日にゲネをする余裕があったのは、僕の経験では初めてですね。

 

 今回は僕もプレイヤーだったから、監督としてのパワーは以前の半分くらいでしたね。残りの半分は横田さんがしてくれた。僕はみんなの個々のプレイの細かい所を調整していく役に回って、横田さんに、全体のバンドとして鳴ってる感を見てもらいました。それがリハがスムーズに進んだ原因かも知れないですね。僕があんまり言いたいことを言っていたら、みんな怒っちゃってたと思います。だからすごい助かりましたね。

 

YMOは嫌いだった

画像:YMOトリビュート

 僕は最初、YMOは嫌いだったんです。僕が小学5、6年のときかな、ラジオとかテレビとかでじゃんじゃんやっていて、流行っていたじゃないですか。それがとにかく嫌だった。流行りものが嫌いなんですよね。黒板にYMOって書いているヤツをグーで殴ったりもしました。いつも面白くなかった。こんなつまらない音楽が流行るなんて世も末だなんて思っていた。

 

 そのあとに、「BGM」が出たときにジャケ買いしちゃったんです。変わったジャケットだなって。それで聴いて「すごい音楽だな、これ誰だ」って見たらYMO(笑)。「あらー」って。こんなすごいバンドだったんだって。「BGM」を聴いたあとで前のを聴いて、「これがこうなっちゃうわけ?」っていう順番ですから(笑)。「BGM」からは好き。同じバンドだから前のも聴きますけど、特に好んでではないです。

 

 でもそのおかげで、監督としてちょっと引いて見られるというのはあります。僕が嫌いな感じになってくると「ああ、できてきた」ってなる(笑)。あと今回の場合だと、シンセサイザーのベースにしても、エレキベースにしても、よく聴くと1曲ごとにグルーヴが違う。極めて微妙な違いなんですけど。曲ごとのベースのリズムの違いを出していかないと雰囲気が出ないので、そこは随分研究しました。

 

夢を具体化する技術者

 僕は、グランドデザインはタッチしません。それは小林さんや横田さんが考えることです。僕は、二人が夢としてやりたいことを具体化する役目をしました。彼らがレールを敷いたら、そこに載せる機関車を作らなくちゃいけないので。完全に技術者目線ですね。それ以外の、誰をお呼びするとか、どういうテイストのコンサートにするとか、そういう企画面は二人メインでやってもらって、困ったことがあったら相談に乗るという感じです。

 

 僕がやるべきことは、彼らの夢をどう実現するかということ。頼まれなかったら、自分からはやっていませんよ。僕の夢は既に叶ってるんで。ただ、やるのであれば一番いいものを作りますっていう自負はありましたから。それがないと監督なんてできないです。人それぞれ思い入れが違うと思いますよ。

 

    僕は楽器メーカーに勤めていたときに「この世界で一番になりたい」という思いがあって、いろんな方々に支えられて、ある製品がかなりヒットした。それで僕の夢は叶ったんです。この時代に、ひとつの製品を15年も作っているというのは異例なことだと思うんですよ。それで「あー、やってて良かったな」って。それであとは静かに余生を生きているんです(笑)

 

(了)

 

取材:2017年12月

小池実

1968年生まれ。楽器メーカー勤務を経て、現在はさまざまなライブ活動に参加。今回は技術者目線でバンドの音をコーディネートする「音楽監督」と、仏頂面でのベースを担当。

画像:YMOトリビュート

(構成:岡崎道成)


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