Thank you Good night ! YMOトリビュート

~「俺、何のためにやってんだ」小林淳一さん(後編)


俺、何のためにやってんだ

 今回は香津美さんと松武さんに、ゲストでなくトリビュートメンバーとして全曲参加していただいたのが、自分的には一番大きい事でした。芝浦スタジオで初めて全員でリハしたときも、「お前らこんな演奏で」とか言われたらどうしようって、とてもビクビクしてたんですけど(笑)。でも実際リハ始めたら、御二方が加わった緊張感もあって、あの日を境に演奏がみんな変わった。

 

 ただ、メンバー全員が香津美さん、松武さんの演奏に耳がいっちゃって、ボンミス多発(笑)。何しろ香津美さんが、事前に渡していたライブ音源の自分の演奏をコピーされてて、何十年と聴いてきたあのフレーズが目の前で鳴ってるんですから、普通でいられませんよ。ギターソロの時なんて、メンバー全員演奏しながら香津美さんをガン見してたら、松武さんから「ちゃんと演奏に専念しろ!」って注意されたり(笑)

 

 そうは言っても、私らでリハ始めた頃の雰囲気はピリピリでしたよ。やりたいことをやってるんだから、楽しい感じでもよさそうでしょ。でも全然そういう感じじゃなくて、「ヤバい、こんなんじゃダメだ」という気持ちが常にある。演奏ミスるとお互い「いい加減、ちゃんとやれよ」みたいな殺伐とした雰囲気で、笑い声も皆無。リハ終わって「飯、行くか」というのも全然ない。私なんかは、メンバーに対してというより、自分にピリピリしていた。いろんな準備とか手配とかも進まなくて、焦りとか苛立ちもあったし、そうすると自分の練習なんか二の次になっちゃって、それでミスると(小池)監督に怒られるし。私もプレイヤーか仕切り屋か、どちらかに専念すればよかったんだろうけど。それでも今回は横田君が仕切り面でいろいろ助けてくれたので、だいぶ違いましたね。

 

 プレッシャーも今までで一番凄かったです。キーボードも独学で、YMOを趣味で弾くくらいの技術しかないのに、世界の香津美さんと一緒にステージに立つなんてとんでもない話ですし。それにお客さんがどのくらい来てくれるか。香津美さんもいるのにスカスカじゃ申し訳ないし、金銭的にも赤字になるし。そういう負の気持ちが日々重なっていって、誰のために、何のためにやってんだってところにどんどん行っちゃう。こんな思いをしてまで、俺は何やってるんだろうって。そんな状態が開演ギリギリまでずっと続いてました。だから楽しむ余裕なんて全然なかったですよ。

(画像:YMOトリビュート)

みんなが求めている事と同じだった

 そういう中で、YMOのプロデューサーをされていた川添象郎さんの前で演奏できたというのは、私らにとってはかなり大きなことでした。終わってから「いやー、良かったよ!」って言ってもらえた時には、達成感がありました。過去に開催していた再現ライブイベントではそういう達成感はなくて、どちらかというと、見られちゃいけないものをこっそりやってる、みたいな感じだったから(笑)

 

 ライブの最中の気持ちは、一言でいうと「俺、なんでここにいるんだろう」に尽きます。自分の趣味のバンドだったら、来てくれるのは友達とか知り合いが中心で、付き合いで渋々来る人もいたりしますよね。でもあのイベントでは、安くないチケットを購入して来てくれて、音を出すたびに喜んでくれたり、涙まで流して声援を送ってくれる。そんな機会、人生の中で普通ないですよ。ボコーダーでちょっと喋れば「オー」みたいな。こっちがびっくりしちゃうくらい。何事だ、みたいな(笑)

 

 そういう、涙されてるお客さんをステージ上から見たときに、「あ、やって良かったんだな」という気持ちはありましたね。それは今までのライブとは全然違うところです。「企画してくれてありがとう」という声を沢山頂いた。いろんな人から声をかけられて、写真とか握手とか求められたりして、本当にみんなが喜んでくれた。自分たちのやりたかった事が、みんなが求めている事と同じだったんだと感じて、初めて達成感を感じたんです。

(画像:YMOトリビュート)

「好き」を極めた人たち

 衣装を担当してくれた人やドラムのサポートをしてくれた人も、それぞれ貪欲に突き詰めてる人たちです。私は「凄い人がいる」って聞くと、ライバル心を燃やすより「教えて下さい」「一緒にやりましょうよ」っていうスタンスです。自分より凄い人は世の中に沢山いますから、みんなで凄いの作ろうよって思ってました。全部自分でやるより、自分とは別ジャンルで極めた人たちとやった方が完成度が高くなりますから。

 

 ハイハットのトラブルを直しに上がって来た人は、高校生の頃からの仲間で、筋金入りの幸宏さんマニア。学生の頃から少しずつ幸宏さんと同じドラムを買い揃えてきた。今は自宅を建てる際に作った音楽部屋に、年代ごとの幸宏さんのドラムセットを揃えて全部叩けるようにセットしてる「ヘンタイ」です(笑)。それを実現するために、ものすごく頑張って働いた。家を建てる時にも、趣味部屋を確保するのって、奥さんとの闘いじゃないですか、子供もいるし。でも「俺はそこは絶対に妥協しない」って長年思いをもって頑張って働いて、自分の夢を実現してる。お金持ちがひょいと買ってるわけじゃないんです。

 

 衣装の人民服を作った人も、幸宏さんの影響で服飾デザイナーになった人です。2000年に私らがYMOバンドでNHKに出演した事がきっかけで、長く衣装を担当してくれてます。幸宏さんが好き過ぎて、当時幸宏さんが乗っていたのと同じルノーに乗っています。しかも、それがきっかけでルノークラブの会長もやってるという(笑)。彼らが話してるの聞いていても、何の話をしてるのかわからないんです(笑)。「あそこのドラムのスタンドのネジは何ミリ角のネジで」とか話してる(笑)。ある意味、もうYMOとか幸宏さんとか関係ない世界。でも、そのくらいの人がいるから成り立つイベントでもあるって思いますね。

松武さんで決まった人生

 私ら昭和40年前後の世代にとって、1980年代は色々な新しいものが世に出てくる時代だったように思います。世に出てくるものが全て刺激が強い時代。でもシンセなんて買えないし、憧ればかり強くなる。それが大人になって、ふと楽器屋さんに入ったら「うわー、Prophet 5売ってるじゃん!」って感激する。5年払いだったら買えるな!って。

 

 私の家は、幼少の頃から凄く貧しかったんですよ。だからお金を稼ぐために働きたいっていう意識が強かった。自分の趣味って、今でも小学生の時の思いを引きずって生きているんです。スーパーカーに憧れて、子供ながらに「スーパーカーは社長が乗るもの」というイメージでしたから、「絶対乗りたい、だから社長になる」って。それは自分の境遇に対する反感とか、お金に困らない生活への憧れもあったかもしれない。何の社長かなんて最初は全然考えてませんでしたけど、中学生になって、松武さんがMC-8を操作して自動演奏している姿でコンピュータの存在を知って、徐々にのめり込んでいきました。高校を卒業する頃には、コンピュータを自分の仕事にしていこうって、コンピュータの会社に就職した。それから独立して、みたいな流れで今に至ります。完全に趣味の人生です(笑)

(画像:YMOトリビュート)

「恩返し」は続く~次のステージへ

 次はやっぱり、ファンが作るイベントに御三方がいらして頂けたらって思います。一ファンとしてストレートに思いを伝える事が出来れば、可能性はゼロではないと信じてます。でも、断られて当然ですから、御三方の入り待ち、出待ちして、体当たり直撃オファーもありかなって思ったりしてます(笑)

 

 YMOとの出逢いは、私の人生に凄く大きな影響を与えました。YMOでコンピュータを操作しながら不思議なサウンドを奏でていた松武さんを観ていなかったら、今こうしてIT業界で働いていないと思うし、会社経営もしていない、全く違う人生だったと思います。誰かの人生に影響を与える事ができるって凄い事じゃないですか。ライブに来てくれるお客様の多くは同年代の方が多いんですが、トリビュートイベントを見て、またシンセ触ってみようとか、バンド組んでみようとか、一人でも多くの方に何かのキッカケになったら嬉しいですね。トリビュートイベントは私にとって、おこがましいけど「恩返し」なんです。

 

(了)

 

取材:2017年12月

小林淳一

1967年、小田原生まれ。YMO、特にマニピュレーターの松武秀樹氏に大きな影響を受け、YMO再現バンドO-SETSU-YやYMO楽器展など数多くのライブやイベントに関わる。今回、長年の夢であったトリビュートライブを企画・主催し、自らも坂本龍一役でキーボードを担当した。

(画像:YMOトリビュート)

(構成:岡崎道成)


関連記事