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そうだったのか!クリスマスの意味がわかる3つのステップ(番外編)

 3つのステップは終わりましたが、番外編として、聖書を読み込んで見えてくる「聖書学者レベル」の解説です。(僕は学者ではありませんが・・)


 上級編では、「イエスが約束された救い主である」という聖書のメッセージをお伝えしました。

 

 では、なぜ救いの方法が「十字架」だったのでしょう。

 

 たとえばどこかの場所に行くとか、何かをするとか、何かを見るとか聞くとか触るとか手に入れるとか、はたまたお金を払うとか、そういう方法ではなく、なぜ十字架だったのでしょう。その理由がないと、「たまたま十字架で殺された立派な人を、後づけで救い主にまつり上げた」というだけのことになってしまいます。

 

(1)神が定めたルール

 

 聖書の3つ目の書、レビ記にこう書いてあります。

 

 「いのちとして贖いをするのは血である。」(レビ記17章11節)

 

 レビ記は、いわゆる「律法」です。罪ある人間が神に近づくために、また具体的に犯した罪の赦しのために、「こういう場合にはこうせよ。そうすればきよめられる」と書いてあります。これらは神が「罪をきよめるためにはこのようにしなければならない」とルールを定めているのです。そのルールに使われるのが「いけにえ」です。いけにえは、人の罪の「代わり」にささげるものです。自分が受けるべき処罰を、いけにえとなる牛、やぎ、羊、鳩などの動物が負います。そして、罪のいけにえにできるのは、傷のない動物でした。傷があるものは、いけにえにはできません。純真で傷のない、けがれのない指定された種類の動物だけが、いけにえになる「資格」を持っていたのです。

 

(2)いけにえの効果は持続しない

 

 律法では、毎日ささげるいけにえ、年1回ささげるいけにえ、罪を犯したときに都度ささげるいけにえなどが細かく規定されています。ここで注目すべきは、「いけにえの効果は持続しない」ということです。今日ささげたいけにえは、今日だけの分です。明日の分はまた、明日同じようにささげなければなりません。なぜなら、人は罪を犯し続けるからです。いけにえは、ときどきの罪はきよめることができても、人を完全にきよくはしないのです。動物のいけにえはこのように、効果が永続しない、不完全なものでした。

 

(3)「完全ないけにえ」だったイエス

 

 神が約束された救い主は、このような不完全ないけにえを終わらせる、完全ないけにえでした。この救い主によって、律法は完全に、永遠に全うされたのです。イエスが「わたしは律法を廃棄するためではなく、成就しに来た」(マタイの福音書5章)と言っているのは、そういう意味です。律法を守り切れない、罪を犯し続ける人を、ただ一度で完全にきよめるいけにえでした。イエスが十字架にかかったのは、いけにえであったからです。傷のない、すなわち罪のないイエスだからこそ、十字架で流された血に、永遠の、完全な効果があるのです。

 

「救いの方法が十字架であった」ということには、このような必然性があるのです。

 

 

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